oyoyobuhnyan’s blog

アラフィ サイボーグ一歩手前のおやじです

お祖母ちゃん

頚椎脊髄症の具合が悪く 久しぶりに祖母のことを書きます

つい先日祖母が93歳で亡くなり

一言、ご苦労様でしたと感謝の思い出いっぱいでした

創価学会友人葬という形式でしたので違和感がありました

話はかわります

祖母は15歳で自分の姉を頼り静岡県菊川市というところに渡航して来ました

日本語の読み書きもできないのに一人で日本に渡るのは相当な覚悟だと思います

昭和10年くらいだと思います

その頃はトンネル工事など危険な仕事は韓国の方が手っ取り早く稼げるということで

作業員の飯炊きなどで生計を立てていたと言っていた

夫(私の祖父)も一緒に生活するようになり現場の世話役、手配師と出世していったが

飲む打つ買うの三拍子揃ったヤクザもので生活は大変でくず鉄回収、焼肉屋、居酒屋、

女郎部屋、パチンコ屋、バー、スナックなどあらゆる職業を経験したと言っていた

一番儲かったのは戦前はある疲労がぽんと抜ける薬の製造とドブロク造りだと言っていた、現在の価値で20億は軽く稼いだと言っていた

夫が博打、女、事業拡大の失敗、政治運動に使い果たしてしまった

残ったのは昭和40年で5000万の借金と自宅だけだとこぼしていた

続く

f:id:oyoyobuhnyan:20170917081530j:plain創価友人葬 なんかしょぼい

ギブです

頚椎椎弓形成術という手術を受け、もうすぐ四ヶ月

f:id:oyoyobuhnyan:20170907080708j:plain 実際はスクリューというボルトがこの写真の倍以上インプラント治療で入っている

レスラー高山さんみたいに全身麻痺を防ぐための処置ですが痛みが取れず

現在も休職中です 最初の主治医の見込みは2ヶ月で職場復帰という説明だったが

チタン製のねじが一本折れていることが判明

ビビリの親父です

意識がしっかりしていて動けないのは生き地獄ですから

手術後4日ほど動けなく食事も取れず、カテーテルやいろいろなチューブが体に接続されているときのことを思い出すと怖い

寝たきりになるくらいなら安楽死ができるのなら考えてしまう

いろいろ考えた昨日でした

 

祖母のことはまた後日書いていきたい

 

母方の祖母

ハルモニとは韓国語で祖母のことです 私は四世なので全く韓国語はわからない ただ単語は少し解る程度 父方の親戚とは繋がりがほとんど無い              家族で母方の地域に移り住んだからだ                       母方の祖母は大邱徐氏という何となく本物の貴族の出身みたい もともとは先祖が中国から来たという話を聞いている                          祖母は幼いころ母が亡くなり、継母には苛められたとよくお酒が入ると話していた 三人姉妹の次女でした継母には連れ子がいて、ご飯は連れ子には麦ご飯、前妻の子供には白米というパフォーマンスを祖母のお父さんの前ではしていてよくできた妻だといつも、話ていた人のいい愚かな曽祖父だった なぜ疑うことができなかったのが不思議だ 

祖母たちは継母の折檻が怖く言えなかったのに

しかし、本当は表面だけで中身は逆で自分たちには 麦ばかり、連れ子には白米だったとこぼしていた かなりつらい幼少期をおくり

早く家を出たかったと言っていた

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これからおしんもびっくりな人生になってしまう

祖父と結婚したばかりに

祖父のこと ③

祖父が創価学会に入信したのは昭和26年ころだ

かなり地域では古い入信だったみたいだ

その当時の創価学会は縦線という組織で軍隊みたいな世界だった

祖父は持ち前の行動力で瞬く間に部員・分隊長・班長・隊長・部隊長・最高幹部の序列の隊長(100人程度信者の責任者)まで駆け上がっていったそうです

面倒見の良いひとだったので折伏は何百人としたみたいだがその上の部隊長(千人程度の部下がいる)にはなれずそれ以降は日蓮正宗のお寺の信仰に立ち位置を変えていった

病状はお酒を控えて規則正しい食生活で治っていき、良い薬も医学の進歩で開発され回復していった

私も子供の頃から大石寺に名古屋から帰省するたびお参りに連れて行かれた

子供には長時間の正座、読経、題目は苦痛以外の何物でも無かったが美味しい物が食べれて私はドライブが大好きで特に、トンネルのなかの照明が好きだった

喜んでついていった

このころから静かにマインドコントロールされていた💀

 

祖父は本質的には優しいだったが気に入らないことがあればちゃぶ台返しは日常茶飯事

年をとっても女性は大好き、自分の価値観を家族に押し付ける前時代的な性格は変わらなかった こんな豪華な施設を所有している宗教団体なら功徳があるはずなのに実際熱心な信者の親戚の方がお金はない 熱心な信仰をしていない親類の方が幸せで経済力もある

 

 

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祖父のこと ②

祖父の話の続きです

祖父は故郷で中学校しか出ておらずハングルと漢文の読み書きはできました

当時の韓国としては割りと高い教育を受けていた

日本語の読み書きはある事件で2年の禁固刑を受け刑務所で覚えたそうだ

たくましい限りです 政治的な活動も好きで右翼、共産党、民団、朝鮮総連などいろいろ試したみたいだ まあ困っている人を助ける侠気は強かった 女房の名字と同じということだけで孤児を引き取り家族として育てたり損得勘定なしで人助けもしていて、街でよく@@さんその節はありがとうござますとか、警察でも顔が利いていた

カタギになってからはバッティングセンターを自分で建てたり、自宅も建ててしまった

なにか人の仕事をみるとすぐ見よう見まねでできてしまう

手先の器用な、頭の良い人だと母が言っていた

私の母も祖父から受け継いたのか 左官仕事や押し入れの襖戸をイチから作ってしまう

器用さと物事の判断力があった ただ忍耐力がなく

しかし惜しいことにちゃんとした教育を受けておらず日々生きるのが精一杯で

勉学に励むことがなかった

父方は父だけ高卒(イチローの先輩)、母方は皆、中卒

高卒などその後孫の代まで一人もいなかった

 

話は少し変わるが、皮膚病(今で言うアトピー)がひどく、医者で治らず

病気が治ると言われ創価学会に入信した

そのおかげ母方は今でも全員名目上は創価学会員だ

俺はいろいろと思うとこがあり信仰はしていないが

父母、叔母、妹はバリ活で俺は迷惑している なぜカルトと気が付かないのか不思議だが私も社会に出るまでマインドコントロールされていた

罪深い組織だがなぜ政権にも入り込んでいるのか納得できない

私はかなり苦労して国籍も日本に帰化した アウトサイダーな世界は懲り懲り

 

少し話は逸れたがちょうど折伏大行進という創価学会草創期の幹部になり

今度は信仰の道に邁進してしまった その③に続くかもしれない

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祖父のこと

母方の祖父の家も金海金氏任那の王族の末裔ということになっている

韓国の人はこれが本当だと思っているのか疑問です

族譜といって代々の系図があるが詐称もあるはず

日本でも系図を詐称するのは昔からあった

韓国の国民の半分は両班(貴族)の子孫ということになっている

まあ自意識が過剰なところがありますね

話はまた祖父のことになります

本人は自分はヤクザではない 弱い人を助けていただけだ

とよくいっていた 確かに情の深い人でゴッドファザーみたいに周りの皆を助けるために顔役になったみたいだ

戦前は手広く商売をやってその地域で自家用車を持っているのは市長とお金持ちの3人程度だったが祖父も乗っていた 

よほど稼いだみたいだ 密造酒、疲労が取れる@@@、クズ鉄回収、旅館経営、ダンスホールをやっていたみたいだ ある老舗の百貨店を購入してほしいという話が来たf:id:oyoyobuhnyan:20170903121756j:plain

昔の桐箪笥の引き出しに高額紙幣が全部の引き出しに入っていたと亡き母がいっていた

祖父が博打に負けるといつもそこから祖母が届けにいったそうです

ほんとうなのかわからないが車の写真はある

目つきのするどい人でしたが私にとっては大好きなおじいちゃんだった

ただ祖母や子どもたちには自分の思いどうりにならないと手を上げたり暴力的な部分もあった 刺青は入っていなかった 本人は俺はカタギだといつも言っていった

ただ、お妾さんは三人、婚外子も三人 博打も大好き しかし、商売の才能がなく実際は祖母が経営していた

気が短いので戦後の混乱期をすぎるとカタギな仕事しかできなくなり

パチンコ屋、焼肉屋、運送業、飲み屋、置屋など色々手を出して儲からなくなるとすぐほかの商売に手を出して失敗して最後は土建屋だけになった 博打に現在の価値で5億円ぐらい使ったと祖母がこぼしていた                                                                           祖父に子供の頃よく公営ギャンブルに連れて行かれた

子供の直感を頼りに負けが混んだときによく連れてかれた

なんでも食べさせてくれ小学生の自分に大勝した時は一万円もくれた 一日のお小遣いが30円の頃だったから狂喜乱舞だったがそのお金で勝負しろという根っからの博徒だった 

 ノミ屋のヤクザの人がよく祖父のところに来ていた 勝ったときは一割余分に払い戻しがあったが所詮暴力団シノギなので雲隠れされることもあった

自分で働いたことは少なく仕事は立ち上げるが後は家族任せ

 

豪快な人だった

 

炎のおとこ

f:id:oyoyobuhnyan:20170901151900j:plain                                       今日は母方の祖父について
母方の祖父は次男坊で若い頃からやんちゃで喧嘩や女の子と遊びまくる地域の愚連隊のリーダーだったと祖母から聞いた
ヤクザみたいなもんだとコボしていた
昔の韓国の結婚は親同志で家系の地位やつながりで子供の頃に許嫁が決まっていた
祖父は19歳で一度もあったことのない15歳の祖母と結婚した
喧嘩が強く、親分肌の機転がきく人だった
親の決めた結婚に納得できず新婚初夜から他の女性のところにいって帰って来なかったと祖母はこぼしていた
その後次男坊なので一旗上げようと思い大邱から日本に出稼ぎに祖母をおいて渡ったそうだ
九州の炭鉱で働き、親方及び手配師になり、自分の女房(母方の祖母)の親類を頼って静岡県菊川市に移り
トンネル工事の手配師になり人夫出しの関係でアウトサイダー(ヤクザ)の世界に足を染めていった
炎の男とはヤクザの世界のとうり名だと言っていた
東映のヤクザ映画に自分たちの話が出たとお酒が入ったときに言っていた 祖父の仲の良い友達は
弁天マサとか人斬りマサというあだ名で顔に刀傷があった
三代目山口組の若頭の山健組の初代との写真もあり熱い人だった
しかし決して立派な人ではない
続く 
アラフィの人しかわからないかも
デンジャラスな世界は嫌いです

燃える男の赤いトラクター ということで小林旭さんを使いました
祖父の写真は身バレしてしまうので不可