祖母は
お餅は子供の口には合わなかった 韓国のお餅は作れる人が限られているみたい 母方の祖母は作れなかった 砂糖をつけて食べるお餅で日本の大福やおはぎが一本勝ち
名古屋の千種区で祖母の妹の嫁ぎ先がくず鉄の仕事をしていた
幼い頃遊びに行きかわいがってもらった記憶がある
私はおちょこちょいな性格で鉄くず置き場で遊び瞼を切り、今でも大きな傷跡がある
話は変わるが韓国は夫婦別姓で一族の意識が高い儒教の考えが基本にあった 祖母は在日2世でしたが読み書きから勉強し、調理師免許をとり料理が上手だった
しかし強烈な性格で嫁(私の母)にはつらくあたっていた
昔なので嫁姑問題はあった 書けないこともありますが感情的なところがあった
母方に比べたら常識のある優しい人だと母方の叔母と結婚した日本人の義理の叔父が言っていた
私は内孫の初孫でしたのでかわいがってもらった 祖母は迷信深く、ちゃんとした教育を受けていなかったので自分よがりな考えに固執していた
私の父は三男だったが長男次男は戦前の劣悪な在日韓国人の世界で育ち、まともな医療を受けることができなかったので幼くして亡くなった
唯一生き残った父を跡取りとして溺愛して訳のわからん坊っちゃんに育てしまい、亡くなる前に後悔していた 私にくれぐれも父(私の)を頼むと言いながら亡くなった
儒教の影響を受けて男の子をとても大事にしていた
祖母は嫁ぎ先の密陽朴氏の中のある本家筋なので、本貫は大事で系図を引き継いでほしい 結婚するには本貫だけでなく高麗の大臣朴彦孚の家系だと言っていた
大事なことなのか事実なのか系図は本当なのか
その頃は中学生でしたので意味がわからなかった
俺は今振り返っても善悪は誰にも判断できない それぞれ基準が違う
五十年の月日が過ぎたけど答えがでない
色々苦楽を乗り越えたが悟りの境地は得られない
皆自己の都合で発言し行動し考えを押し付ける
父方の祖父母
私が生まれたときは父方の祖父はすでになくなっていた
やはり在日ということで、まともな職業にはつけなかったそうだ
在日はくず鉄屋、焼肉店、パチンコなど自営業、そしてアウトサイダーな職業、土建業
などで生計をたてるしかなかったと祖母が言っていた
血と骨という小説を読んだが他人の感じがしなかった
飲む打つ買うの三拍子になってしまうのは韓国人の性質なのか
疑問です 祖母たちはそんな夫に我慢し一生懸命頑張り子供を育てた尊敬できる女性です
現在なら即離婚だろうが儒教の教えが染み付いた没落両班の家系なので
時代的背景などあり二人共耐え忍んだと言っていた
私は日本で生まれて教育を受け、韓国語は話せず、15歳まで日本人だと思っていた
ただ、お盆の祭祀が違う(儒教)、正月料理がおかしい、雑煮がトック@@@
疑問だらけの子供でした